ぺこおばさんの気まま日記

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<<   作成日時 : 2017/06/24 13:30   >>

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母が逝ってしまって10日が過ぎました

兄も私もやっぱりまだ泣いていません

母が居なくなっても同じように日々を送っています

よく心にぽっかり穴が開いたようなとか、聞きますが

私はそんな、感情もなく、まだ母と暮らしているような気がしています

親戚の人や、友達、伯母や叔父や従姉が亡くなった時は、泣き虫の私は号泣してたのに・・・・・

母の介護は凄く大変でもういやだ〜って叫びたい時もあったけど

母が居なくなったら、もっと悲しくて寂しくて私はどうにかなってしまうのでは

と不安でしたが、割と冷静な自分が居て不思議です

母とは嫁ぐまでの33年間と、離婚して戻って来てからの16年と

50年近く一緒に暮らしていました

戻って来てからも何度も入院したり、大病したり、母には心配ばかりかけどうしの娘でした

母は80代後半まで元気でしっかりしてたので、私はずっと母に頼って甘えて暮らしてました

母はいつもおおらかで、物静かで、健気で、優しくて、躾は厳しいこともあったけど

大抵の事は、「ペコは賢いから大丈夫やで〜」って言ってくれました

母とは若いころから友達の様な関係でいつも一緒に出掛けたり、何でも話せる母でした

私が幼いころはパン屋さんをしてて、毎日午前2時に起きて仕込みをしてた母

パン屋さんをやめてからは、和裁の仕事をいつも夜遅くまでしてた母

綺麗好きで暇があれば、整理整頓掃除をしてた母

どんな辛いときも顔に出さず、何とかなる、なるようになるって言ってた母

自分も大変なのにいつも誰かの世話をして、忙しい思いしてた母

私が、そんなことしても、誰もお返ししてくれないよって言うと

自分に帰ってこなくても、ペコや孫にまた誰かがお世話になるからねってよく言ってた

昨日デイケアの皆さんに挨拶に行くと

「お母さんは、人の悪口や、文句や、愚痴を言わない人で、料理や手芸なんでも上手にこなすけど

出しゃばらず、自慢せず、優しくてユーモアがあっていつも笑わしてくれたよ、

あんな綺麗な心の人とデイで5年間仲良くできて楽しかった」って

仲良しのおばあちゃんが言って泣いてくれたので

初めて私は嗚咽がでて、泣きました

お母ちゃんよかったね〜皆さんに褒めてもらって・・・・

母のようにはなれない、母とは全く正反対の私だけど

これからも、私は私らしく、生きて行こうと思います

母自慢の記事で恐縮です、身内びいきという事でご了承ください。

読んでくださり、ありがとうございました


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母が楽しみにしてたスイカが生っています、食べさせてあげたかったなぁ〜



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コメント(16件)

内 容 ニックネーム/日時
ぺこさん、こんばんは。
きっとまだまだ実感が湧いて来られないのでしょうね。
でもぺこさんのブログを通して、今までのぺこさんの献身的な介護の様子を拝見するとやっぱり「ぺこさん、本当にお疲れ様でした」と言いたくなりますよ。
これから寂しさが募って来るのかも知れませんね。
でもぺこさんのお母様はきっと他の誰よりもお幸せな老後を過ごされた事は間違いないと信じます。
イエティ1号
2017/06/24 19:01
ペコさんのブログで介護の様子を拝見してた者としては
お母さまは幸せだったと思いますし、
ぺこさんとお兄様も悔いなくお母さまを見送られたのではと思うのですが、
ぺこさんの中ではまだまだいろんなことを考え、心の整理はつかないのでしょうね。
お母さまはとっても素晴らしい方で、素敵なものをいっぱい残してくださったのですね。
ぺこさん、いろんな方とお母さまのお話をいっぱいしてください。
ブログにもお母さまのこといっぱい書いてください。自慢してください。
それはお母さまの供養にもなるし、ぺこさんの心のケアにも繋がる気がします
すずりん♪
2017/06/25 00:18
イエティ1号さんへ

そうですね〜まだ実感がないですね
今日二七日でした、少しづつ寂しくなっています
母が亡くなる少し前から坐骨神経痛が酷くて
殆ど兄に介護を任せていました
私は痛い痛いって寝てばかりいました
それで夜中に母に起こされると、痛さでイライラして
うるさいなぁ〜って怒ったりしてました
今はそれが悔やまれてなりません
確かに母は兄がつっききりでしたし
亡くなる寸前も私たち二人がそばにいたし
最期の半年は自宅で過ごせて良かったと思います
この5年間兄と私と3人で水入らずで過ごして
旅行も毎年行って、ひ孫も近くに居て
幸せな最期だったと思います
ぺこ
2017/06/25 21:04
すずりん♪さんへ

ありがとうございます<m(__)m>
確かにこの時代家でしかも実の子二人に介護されて
最期の瞬間まで私達と過ごしたので
寂しい思いも、心細い思いもなかったなと思います
兄は病院も施設も絶対母を任せられないと
言って私も大変でしたが頑張ってよかったです
兄が独身だったし私は出戻り母は心配もしたけど
晩年は水入らずで楽しく暮らしました
昨夜初めて母の夢を見ました
神経痛が酷くて掃除も整理整頓もしてなくて
母が「もうペコは仕方ない子やな〜」と
掃除してくれる夢でした
まだ母は私の心配してくれてるんですかね〜
今日は少し綺麗にしなくてはと思っています
ぺこ
2017/06/26 08:34
おはようございます^^
まさに昭和の世代を生き抜いてきた
母の鏡みたいなお母さんでしたね
自慢のお母さんですね
素晴しいです
50年ちかくも一緒に過ごせたなんて
中々いませんよ〜。ぺこさんも、お母さんも
大変な時期もたくさんあっただろうけど幸せだと
思います。
昨日、娘の所に煮物やら赤飯やら作って
持っていきましたが母と同じことしてるって
思って(フッって笑ってしまいました)。
ケロッチ
2017/06/26 08:48
ご愁傷様でした
よくご葬儀が終わると 寂しくなると
言いますが ぺこさんは 落ち着いて
いらっしゃるんですね
多分 しっかり介護をなさって しっかり
看取られたからだと思います

私の知り合いも おうちで介護して人が
いますが お母さんが亡くなられた後
出来ることは 精一杯して 後悔がないから
寂しくないのよと言ってました

でも お体はきっと大変だったと思うので
しっかりお体休めてくださいね
おとめ
2017/06/26 12:42
ケロッチさんへ

私の母だけではなくケロッチさんのお母さんも
この時代のお母さんは皆一緒ですよね
出しゃばらず、しとやかで、なのに強い女性でした
子供の頃可愛い服を沢山縫って着せてくれたり
いつも着物姿が多かった母は自慢の母でした
母より私が幸せな娘でしたね
母と50年も一緒に暮らせて甘えられたんですから
二人で色んなことを乗り越えてきました

ケロッチさんも娘さんにとって自慢のお母さんですよ
洋裁も編み物も料理も出来て凄いなって思います
孫っちくんの着るものまで縫ってあげてるし
私は息子に心配かけてばかりの母でしたから
これからは、しっかりしなくてはと思っています
ぺこ
2017/06/26 14:03
お母様の事拝読させていただきました。
ご愁傷さまでした。
存分に介護をされて、良かったですね。
親に感謝は、してもしてもこれで良いと言うことはありませんね。
私は若いころ難病にかかり、今あるのも母のおかげと思っています。
私は、母が逝き、色々整理し始めたころから、見るもの触るものに
母があり、涙涙の日々でした。
季節の変わり目体調を崩されないようになさってくださいね。
つむぎ
2017/06/27 11:41
おとめさんへ

今まで母の記事で色々とコメント下さり
ありがとうございました
そしてこれからも宜しくお願い致します。

一昨日二七日を終え少しづつ寂しさが募ってきました
が、まだ声を上げて泣くことはありません
今日祭壇の花が枯れて来て整理したら
祭壇の母の遺影が寂しそうな気がして
お母ちゃんほんまにいてないんやなぁ〜って
ちょっとホロリとしました
まだ母の物に一切手を付けてなくて
亡くなった日のままなんですよ〜
片付けるのはまだ勇気が要りますね

神経痛が背中まで襲ってきて
家事も痛くてなかなか進みませんが
神様がくれた休憩なのかなって思いのんびりしています
ぺこ
2017/06/27 13:34
つむぎさんへ

コメントありがとうございます
90歳を過ぎてから少しづつ認知症が進み
約6年間が介護しました、というと立派ですね
って言われそうです、その間に癌になったり
バイク事故で腕を骨折して入院したり
母の介護は殆ど兄がした様なものです

そうですか、つむぎさんも難病になられて大変でしたね
お母さんって病気の時は居てほしいですよね
私も14歳で手術をしてその後なんと!8回も手術
それ以外も何度も入院して息子を預かってもらったり
今何とか息子を結婚させて孫もいて生きていけるのは
母のお蔭なんです、私の力だけでは生きていけませんでした
母はもう、いい加減自分で生きてよって言ってる気がします

私も未だに声を出して泣くことはありません
でも母の物は一切手を付けていません
まだ整理するのは無理ですね
コメント嬉しかったです
ぺこ
2017/06/27 13:43
ぺこさん〜
ぺこさんのお気持ち痛いほど分かります〜
私は母を亡くし一人になりましたが〜
暫くは茫然自失〜涙も出なかったと思います
泣いてる暇もなかったというのが正直なところで
〜自宅で看取り〜急だったので救急車を呼び
救急車到着まで言われた通りに心臓マッサージを続け
叫び続けました〜かかりつけの病院へ到着し
子供達への連絡〜皆が来る迄気が気ではありません
子供達が到着〜息絶えた母の周りに集まり
私はずっと傍に居たかったのに、警察の事情聴取〜
病院から自宅まで案内させられ〜傍にいる事も
出来なかった………仕方ないのかもしれないけれど
何だかやりきれなくて………
それからはお決まりのコース〜
忙しくて泣いてる暇もありませんでした〜〜
今は遺影の前で思いっきり涙を流して〜
感謝と懺悔と〜〜一人だから泣けるのかも〜
傍に誰かいたら泣いてばかりいられませんよね
未練たらしくみっともなくて………(苦笑)

母の遺品整理は少しずつしか出来ていませんね
その都度思い出しては感極まってる私です〜
父の優しさに反し完全主義で厳しかった母には
一抹の反感があった私ですが〜
信心深かった母の晩年は施設(デイサービス)の人にも
病院の医師はもちろん看護士さんお掃除の方まで
誰彼なく手を合わせて「ありがとう、ありがとう」〜と
私には手紙、そして子供にも夫々にありがとうの手紙
今頃になり私はそんな母が愛おしくてもっと優しく
もっと話しを聞いてあげればよかったと〜
〜後悔先に立たず〜ですね
ごめんなさいね〜思い出してつい長話に〜

〜雨の被害がニュースで流れていますが〜
ぺこさん宅は大丈夫ですか〜!?
くれぐれもお兄様共々
お身体大切にして下さいね!!
miki
2017/07/02 22:50
お母さんと50年近くご一緒だったんですね。
お母さんお幸せだったですよね。ペコさんも・・・
ペコさんが子どもの頃にパンやさんって、今でこそよくありそうな仕事だけれど、当時は珍しかったんでしょうね。頑張り屋さんだったんですね。ペコさんと同じですね。
涙はそんなにポロポロと流れてくるものではないですよね。きっとふとした時にウルってくるんでしょうね。
まりん
2017/07/02 23:33
こんばんは。
本当に素敵なお母様だったのですね。行動でお手本を示してくれたお母様の想いはぺこさんの心にちゃんと息づいていて・・・お母様そっくりになられるのではないでしょうか。 私の亡き母も明治生まれの昔ながらの良妻賢母だったと思います。何より驚くほど辛坊強くて・・・私にはとても真似は出来ませんが少しは近づきたいとは思って居ます。
立派なスイカ、お母様に味見していただきたかったですね。
のろばあさん
2017/07/05 20:12
mikiさんへ

おはようございます
mikiさんのコメント拝見して
私よりずっと大変な思いされた事と思います
私は兄と二人で母を介護し看取りました
それも殆ど兄を頼ってました
母が急変した時も二人いましたし・・
兄はどういうわけか、朝の6時だったにもかかわらず
行きつけの医者に電話して出ない出ない
私が「119番やろ〜何してんの!」と
電話を引きたくって119番しました
そのあとはmikiさんと全く同じでした
心臓マッサージしなが待って救急隊を待ち
病院に向かい、手を尽くしてくださったのですが
先生が「もうこのまま最後まで看取りましょう」と
その間母の手をさすって上げてたかったけど
息子や親せきの人に電話したり・・・
皆が病院に着いたときはもうダメでした
皆泣きながら母のそばにいてくれましたが
私と兄は色々な段取りで泣いてる暇もなく・・
葬儀が始まってもやあり泣いてる間もなく・・
そして3七日が過ぎました・・
兄が祭壇の前に来ないので
何故なの?って聞いたら
生きてるお母ちゃんの世話は何でもしてあげるけど
遺影や遺骨に手を合わせたってむなしいだけや・・と
私がせっせと祭壇の管理をしてると
生きてる時にそれほど世話してやったよかったのに
って、ぼそっと言いました

私も実はお父ちゃん子でした
何でもいう事を聞いてくれる父が好きでした
母は女の子の私に結構躾が厳しかったですから
なので兄に比べると、私は母に反抗的でした
介護してても口げんかしてました
今は後悔と懺悔の毎日です・・
MIKIさんのお母さんも配慮深い賢いお母さんだんのですね
コメントありがとうございました
ぺこ
2017/07/06 10:20
まりんさんへ

結婚生活が15年くらいでしたから
その間だけ母と離れて暮らしました
兄は生まれてただの一度も母と離れて
暮したことがありません
母は幸せだったと思います
父が小学校を出て、夜間中学に通いながら
叔父さんがやってた饅頭屋パンの工場で奉公して
パン職人になって、母と結婚して二人でパン屋さんを
始めたそうです、母は和裁の仕事からパン屋さんになった訳で、随分なれない仕事で辛かっただろうなって思います
私は頑張るという事を知らずにおばあさんになったんです
今まで沢山の人とお別れしてきましたが
母の時が一番悲しくも、寂しくもないんです
ホロリとすることがあっても
声を上げて泣くことは無いです
ぺこ
2017/07/06 12:17
のろばあさんへ

母は苦労してもいつも呑気に構えてました
躾は厳しくなかったけど
人の悪口やうそをつくと凄く叱られました
お人好しで、縫物が出来たので
忙しいパン屋さんだったのに、他人の縫物を
引き受けて夜なべしてぬってました
なんの報酬もないのにって私はよく怒りました
明治生まれの祖母もそうでした
明治大正生まれの女性は我慢強くて逞しくて
強かったですね〜真似なんかとてもできません
私なんかもやしっ子の走りみたいなおばあさんです(;^ω^)
ぺこ
2017/07/06 12:25

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